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映画・ドラマ・舞台で活躍し続ける女優の神野三鈴さん。
1992年にデビューして以来、こんなにも長く作品に出演しているにも関わらず、神野三鈴さんの若い頃の写真がほとんどありません。
その謎を解明するべく、昔の写真が一切出回らない理由を考察しました。
さらに、探しに探してようやく神野三鈴さんの貴重な若い頃の写真を見つけたので、ご紹介して行きます。
目次
【デビュー写真】神野三鈴の若い頃の歩み
神野三鈴さんの若い頃の歩みについて紹介します。
いつも優しい笑顔で包み込んでくれるかのような素敵な神野三鈴さん。
実は、全然知られていないのですが、初めての芸能活動は、なんとモデルでした。
渋谷でスカウトされたのをきっかけに、アルバイトでモデルデビューしています。
女優になる方は、原石として発掘されて、芸能界に何らかの形で関わるもんなんですね。
さすがに、15歳のアルバイトでモデルをしていた頃の写真はありませんでした。
その後、女優として初めてデビューしたのが26歳の時。
初舞台『グリーン・ベンチ』でした。
若い頃の写真は、本当に探しても全く出てこないのですが、女優としてデビューして4年目の30歳。
1996年放送の連続テレビ小説ひまわりに出演した時の貴重な写真がありました。
その時の写真がこちら
そりゃあ、人気が出るよなあって思わせる圧巻の美しさ。
めちゃくちゃ綺麗ですよね。
女優として活躍している一方で、プライベートの神野三鈴さんは、1995年の阪神・淡路大震災のチャリティーコンサートで出会ったジャズピアニストの小曽根真(おぞねまこと)さんと結婚します。
結婚後は、夫・小曽根真さんの音楽の才能を開花させるため、ニューヨークで住んでいた神野三鈴さんですが、急病で倒れ介護が必要になったお母さんのために、10年間ほどは日本とニューヨークを行き来しました。
お母さんの介護で帰国した合間に舞台に出るなど、かなり過酷な人生を送りました。
そんな神野三鈴さんがニューヨークからの帰国後、本格的に女優として活動を始めたのは、40代半ばです。
ドラマや映画で神野三鈴さんよく見るなあって思うのは、わりと近年というイメージなのは、若い頃の神野三鈴さんは、ニューヨークで夫・小曽根真さんを支え、日本ではお母さんの介護に注力し、仕事をセーブされていたからです。
自分のことより、大切な人のそばにいることを優先し、思ったような女優としては活躍できず、この空白の10年間は、焦りや不安もあったことでしょう。
今とても穏やかに、そして楽しそうに神野三鈴さんが活躍しているのを見ると、なんだか良かったなあと思うと同時に、本当に役者としての幸せを噛み締めながら、仕事をしているんだと思います。
『仕事の報酬は仕事』
東芝の創業者が残した言葉ですが、その言葉通り素晴らしい姿勢で仕事をされているのが、神野三鈴さんなんです。
神野三鈴さんの背中からは、生きる上で大切なヒントがかなりつまっているんじゃないかと思います。
次に、神野三鈴さんの年齢などをプロフィールをご紹介します。
神野三鈴のプロフィール
分かりやすく、神野三鈴さんのプロフィールをまとめました。
- 生年月日:1966年2月25日
- 出身:神奈川県鎌倉市
- 身長:168cm
- 血液型:A型
- 星座:うお座
- 趣味:絵本 読書
- 特技:オーガニック旬材の創作料理
現在58歳の神野三鈴さん。
年齢を感じさせない若さで非常に可愛らしいですが、趣味も可愛らしかったです(笑)
最近は、趣味の絵本や読書を活かして、エッセイや絵本の訳までされています。
趣味が仕事になっており、本当に心の赴くままに遊ぶように楽しんで仕事をする姿勢が素敵です。
そんな神野三鈴さんが女優になるきっかけは一体、なんだったんでしょうか?
女優になるきっかけ・デビューはいつ?
神野三鈴さんが女優になるきっかけは舞台で、デビューも舞台という夢を叶えています。
デビューは、1992年『グリーン・ベンチ』です。
詳しく解説します。
女優になるきっかけは、15歳で渋谷でスカウトされアルバイトでモデルをしていた神野三鈴さんは、当時周囲とうまく話せない時期がありました。
そんな時に、劇作家の柳美里さんと出会い、その戯曲に書かれた言葉に惹かれます。
「当時の私は自分の言葉が見つからなくて人と話せなかった。でも柳さんの力強い言葉と出会い、なぜ話すのか、なぜ話さないといけないのか考える機会が得られた」と語っています。
自分を変えるきっかけとなった演劇。
「1つの役を演じることは、一人一人を葬るような作業だった」
「思春期の自分を悩ませた、色々な自分を葬る作業だったのかもしれません」
神野三鈴さんが思春期でうまく周囲と話せずに悩んでいた時期に、勇気づけられたのが演劇であり舞台でした。
やはり、原体験に心を動かされたものって大人になってもその時の記憶が鮮明に残っていて、自分を大きく突き動かす原動力になっているんだなあって神野三鈴さんを見ていて思います。
さらに、すごいのがその時に憧れた演劇・舞台を大人になって26歳で『グリーン・ベンチ』という舞台で夢を叶えていることなんです。
当時の舞台のことについては、昔のことなので、ネットにも情報が残っておらず、神野三鈴さんが言及している場面も見当たりません。
しかし、女優になるきっかけが舞台と言っているだけあって、1992年26歳で舞台の上に立った神野三鈴さんの気持ちを考えると・・・
もちろん頭が真っ白になるくらい緊張したんでしょうけど、それを同時にこれから始まる女優人生でとてつもなく高揚感を抱き、ワクワクしたんだろうなというのは、言うまでもないですよね。
夢を実現して、その夢を一度夫とお母さんの介護のために諦め、またその夢を叶える。
その過程を知ると、神野三鈴さんの生き方が素晴らしく、知れば知るほど好きになっていきますね。
神野三鈴の若い頃の画像がない理由
神野三さんの若い頃の画像が異常に少ない理由は、女優業の優先順位を下げて、夫・小曽根真さんとお母さんの介護に専念していたからです。
29歳で夫・小曽根真さんの音楽の才能を開花させるためニューヨークで在住した神野三鈴さんですが、不運にも大好きで尊敬するお母さんが急病で倒れ、介護が必要になってしまいます。
そのため、夢だった憧れの女優業の優先順位を下げて、日本とニューヨークの往復を繰り返すようになりました。
大変だったなんて言葉では済まされないほど、壮絶だったでしょう。
よくもまあ、ニューヨークと日本の往復を8年間も継続し続けたなあって思います。
日本に帰国後も5年間、介護をし続けながら、ドラマ・舞台にも出演しています。
もちろんニューヨークと日本の往復時にも舞台に出ています。
よく体を壊さなかったなあって、普通の人ならできないです。
絶対に、夫・小曽根真さんとお母さんを支えるんだって覚悟がなければできないです。
証拠として、30歳の時に出演した神野三鈴さんの最も若い頃の出演時の画像から
残っている画像は8年後の2004年放送のドラマ『Dr.コトー診療所2004」になっており、空白の8年ができています。
この事情が分かると、神野三鈴さんが若い頃の画像がないのも納得がいきますよね。
画像がないということは、見えない所で必死に神野三鈴さんは大切な人たちを支えていたんです。
すごいですよね。
神野三鈴の夫はジャズピアニスト
神野三鈴さんの夫・小曽根真さんは、世界で活躍するジャズピアニストです。
結婚して、夫・小曽根真さんの音楽の才能を開花させるために8年間も夢だった女優業を控えてまでニューヨークに一緒に渡ったのは、非常に素晴らしいことですが・・・
そもそも、女優である神野三鈴さんがどうして世界で活躍するジャズピアニスト夫・小曽根真さんと出会えたのでしょうか?
いつどこで出会って、どういった馴れ初めだったのか、詳しくご紹介していきます。
夫との馴れ初め~いつどこで出会った?~
夫・小木曽真さんとの馴れ初めは、神野三鈴さんが企画・主催した阪神・淡路大震災のチャリティーイベントがきっかけです。
神野三鈴さんは「全くタイプじゃないのに、出会った瞬間ああ結婚するんだと思った」と話した通り、なんと出会って2ヶ月で婚約して、4ヶ月で結婚するとんでもないスピード結婚でした。
実際に、夫・小木曽真さんがそのことについてインタビューで語っています。
「阪神・淡路大震災がきっかけです。」
「僕は神戸出身(兵庫県)で、彼女は鎌倉出身(神奈川県)なんですけれど、彼女が神戸のためにチャリティーコンサートをやろうということで劇場を2日間借りて、いろいろな方を集めたんです。そこに僕も呼んでもらって出会いました」
元々は、仕事の出会いで、2人は出会います。
「彼女は役者なので、役者やダンサーは呼んでいたのですが、やっぱりミュージシャンが欲しいと思っていたみたいです」
「彼女のお兄さんが、たまたま神戸のFM局で仕事をしていて、小曽根さんだったら神戸のために何でもやってくれるんじゃない」と(三鈴さんに助言したことがきっかけで)声をかけてもらいました」
夫・小木曽真さんは神戸出身ですが、神野三鈴さんは神奈川県鎌倉出身。
しかし、たまたま神野三鈴さんのお兄さんが神戸FMラジオ局で勤めており、小木曽真さんならやってくれそうで、運命の出会いが始まります。
「出会って2ヵ月で婚約して、4ヵ月で結婚したんです(笑)。だからお互いわからないまま飛び込んで。本当に感謝していますよ」
「彼女の言葉を借りると全然タイプじゃないのに、この人と結婚するんだって思ったと言っていました」
すごい馴れ初めですよね。
初めて会って電撃が走って、気づいたら結婚してたというドラマみたいなホントの話ですね。
神野三鈴が歳をとっても若く居続ける秘密
神野三鈴さんが歳をとってもずっと若く居続ける秘密は、食生活です。
神野三鈴さんは食生活の一環でオーガニック旬材の創作料理を特技としています。
「食」に気をつけることも、神野三鈴さんの若さと可愛らしさをキープする秘訣です。
亡きお母さんが薬膳料理の研究家だったそうなので、神野三鈴さんも食生活の大切さをお母さんから学んで、実践されているんでしょう。
神野三鈴が今も美しすぎる理由
神野三鈴さんが今も美しすぎるのは、常に自分の心に従い、やりたいことをし続ける所に理由があります。
自分の第2、第3ステージを見つけて、前向きに自分らしく生きようとしている先輩方が神野三鈴さんにとってお手本だそうです。
やりたいことを、歳をとった今だからこそやっていく!そんな常にチャレンジを楽しんながら生きる姿勢こそが美しさの由縁かもしれませんね。
若さが常に更新されていく、神野三鈴さんに今後も期待しましょう!