漫画の主人公のような激動の人生を渡ってきた元横綱の北の富士さん。
彼が女性にモテたのは、豊富な人生経験から当然っちゃ当然ですが、今回は北の富士勝昭さんが愛した2人の奥さんを写真と一緒に振り返ります。
目次
北の富士勝昭を支えた2人の美人な奥さん
北の富士勝昭さんを支えた2人の美人な奥さんをご紹介します。
当時、女性からモテまくりだったあの北の富士勝昭さんが愛した2人の奥さんの存在、気になりますよね。
写真と共に、一体どんな人物だったのか詳しく見ていきましょう。
彼がどんな女性を長く連れ添う家族として、奥さんとして魅力を感じ、迎え入れたかなんとなく分かるようになります。
【写真付き】北の富士勝昭の1人目の奥さん
北の富士勝昭さんの1人目の奥さんは、元ミュージカル女優の羽永共子(はながともこ)さんです。
こちらが当時の幸せそうなツーショットです。
とてつもなく美人です。
婚約のタイミングは、北の富士さんが32歳(1974年7月)で現役を引退した1ヶ月後でした。
当時、羽永共子さんは19歳という若さで北の富士さんと結婚しています。
女性として一番輝かしくて、眩しい時期を奥さんとして迎え入れた北の富士さんは、さすがの一言です。
しかし、意外にも2人の夫婦生活は長くは続きませんでした。
離婚理由については不明で語られる事はありませんでした。
羽永共子さんのその後は、1977年に劇団四季の専科生に合格し、ミュージカル活動をして1989年の退団後は、劇団四季でジャズダンス講師を務めていました。
退団後も劇団四季で仕事ができるのは、人間性と信頼の表れでしょう。
あれから、時は流れ2023年、羽永共子さんの非常に元気そうな姿が見られました。
めちゃくちゃ綺麗で、めちゃくちゃ人生、楽しんでました。
別れてもさすがは、あのモテまくっていた北の富士さんを射止めた女性。
表情だけでイキイキとして力強さが伝わってくる、非常に魅力的な方です。
笑顔が輝いてますね。
【写真付き】北の富士勝昭の2人目の奥さん
北の富士勝昭さんの2人目の奥さんは、銀座の美人ママ・松木真里さんです。
2人のツーショットがこちらです。
画像出典元:直球映画館
1985年11月、北の富士勝昭さんが実に43歳での2度目の結婚。
お相手は、銀座で美人と評判の銀座6丁目のクラブ「司」でホステスをされていたママで、オーラのある綺麗な方です。
当時、松木真里さんは34歳で、北の富士さんとは9歳差の結婚でした。
2人は、ハワイで挙式をしています。
芸能人ではないので、詳しい動向は出てきていませんが、やはり松木真里さんも相当な美人で、年下の女性が好きな傾向にありますね。
今、現在も松木真里さんと夫婦が続いているかどうかは定かではありません。
現在、北の富士勝昭さんは一人暮らしをしているので、松木真理さんとは離婚したのか、何らかの理由で別居したのか、他界したのか不明です。
表向きには、北の富士勝昭さんの結婚経歴は2回です。
しかし、驚くべきことに2人目の松木真里さんと結婚をする前の1985年より以前、羽永共子さんとは別に、津軽出身の美人一般人と結婚し、子供を2人授かっていたという噂が浮上しています。
いかんせん、プライベートの女性関係を北の富士さん自身が、メディアで言及する事はないですし、またお相手が津軽美人という情報だけの一般人なので写真を見つける事ができなかったので、この程度で留めておきますが、実際は奥さんが3人いた可能性が結構あります。
ただ、どの奥さんも美人であることには変わりないです。
北の富士勝昭は夜の帝王だった?
北の富士勝昭さんは、ご察しの通り夜の帝王でした。
「プ〇イボーイ横綱」「夜の帝王」などと呼ばれており、誰が聞いても女遊びをする人で話が通る人。
それにしても、すごいあだ名ですよね(笑)
人間的魅力の詰まった人たらしだったのでしょう。
このタイプの方は、女性関係なく人間にモテます。
実際、夜の帝王なんてあだ名がついた人と付き合ったり、遊ぶには嫌なのが一般的ですが、数々の女性が口説かれていた事実から、関わると中身が素敵で、北の富士勝昭という人間に惚れて好きになっていったのでしょう。
そんなモテまくっていた北の富士勝昭さんもしっかり、失恋もしています。
夜の帝王の失恋、詳しく見ていきましょう。
北の富士勝昭の失恋
北の富士勝昭さんは、大失恋しています。
当時、10代だった北の富士勝昭さんは、巡業で高知県に滞在中、地元の料亭「濱長」に通っていました。
その時の楽しい記憶を料亭の初代女将・千代子さんが日記に残していました。
”ほれぼれするような男前で親しみやすく、ユーモアがたっぷりだった”
このように記されています。
そんな明るい人柄に、女将さんの子供たちも仲良くなるのは非常に早く、特に娘の二女賀世さんとは、北の富士勝昭さんと同じ歳であったこともあり、特別親しくなりました。
ある時、北の富士勝昭さんは、女将にふと「出世したら賀世さんをお嫁にくれませんか」とお願いします。
当時、北の富士勝昭さんは18歳。
初めてのプロポーズは二女の賀世さんではなく、まず親の女将さんに打ち明ける誠実さ。
すごいですよね。ただ女将さんもまだ娘は高校卒業手前だし・・・と本気にせず聞き流していたら、数年後立派になって再度訪れた際に「お嬢さんはどうしてますか」と女将さんは尋ねられます。
その時には既に二女の賀世さんは婚約しており、そのことを伝えると、北の富士勝昭さんはみるみる口数が少なくなり、店を出ていき女性とお酒が飲めるお店「キャバレー」で荒れ、料亭の主人が慌てて迎えに行ったというドラマみたいなエピソードがあります。
北の富士勝昭さんの失恋です。
そんな事があってからも、北の富士勝昭さんと高知の料亭濱長の料理長夫婦揃って付き合いは続いているそうです。
あの時の話が出るたびに二女賀世は「お母ちゃんが北の富士さんのことをちゃんと言うちょってくれたら、私の人生が変わっちょったかもしれんねえ」と冗談を言うそうです。
北の富士勝昭さんと二女賀世さんのツーショット。
何十年と時を超えて、濱長でトークショーを行った際のお写真です。とても良いお写真ですね。
この失恋が北の富士勝昭さんを成長させたでしょう。
北の富士勝昭は現在、独身で一人暮らし?
北の富士勝昭さんは現在、独身で一人暮らしです。
80代に突入して、元横綱の北の富士勝昭さんも寂しさには勝てないみたいでした。
中日スポーツで長年執筆し続けてきた人気のコラムで哀愁漂うプライベートについて時々語っています。
2021年9月のコラムでは、早く帰っても、待ってくれる人もいないと語っています。
部屋には電気もついておらず、実にさびしい。さみしいと言い切っております。
これで現在は一人暮らしをしており、独身ということが確定しました。
夜の帝王なんて呼ばれていた頃は・・・
夜の街に繰り出しては、遊びまくっていた夜の帝王も、今や一人暮らしが寂しい。
元横綱というどんなにすごい肩書きがあっても、北の富士勝昭さんは普通の人でした。
再婚の予定は?
哀愁漂う一人暮らしをされている北の富士勝昭さんですが、現在は再婚の予定はありません。
思う存分、若い頃遊び尽くし、妻子を持ちモテまくってきた人生なので、欲深く生きるより穏やかな日々を選んでいる北の富士勝昭さん。
今の生き方も含めて、とても魅力的です。
北の富士勝昭の子供と孫
北の富士勝昭さんの子供と孫は、何人いるかまでの情報はありませんでした。
しかし、2回目の結婚相手である松木真理さんとの間に娘さんが生まれています。
また、以前相撲場の生中継で
久しぶりにお孫さんに会ったらカッコイイと言われてとても嬉しかったそうです(笑)
ちなみに、娘さんもお孫さんも女の子ばかりだという情報が入っています。
北の富士勝昭さんは、2022年3月80歳の誕生日を迎えた際、今後の目標を「孫が物心つく85歳まで生きること」と語っていました。
とても可愛いですよね(笑)相撲だけでなく、このような幸せがあることが非常に良いことです。
北の富士勝昭に隠し子はいるのか?
北の富士勝昭さんに隠し子がいるかは、分かりません。
ただ、可能性としては高いです。
少しだけ理由を並べてみます。
奥さんが実は3人いた説、昔毎日夜の街であれだけ派手に遊び、気さくですぐに仲良くなりモテて、さらには余すくらいにお金がある。
これらを考慮すると、子供も孫も隠し子も一体何人いるか分かりません。
男性は権力を持った途端、何に時間とエネルギーを注力するかというと、女性です。
歴史の重要人物や芸能界、社長・・・大体皆、やることは同じです。
歴史は繰り返されていくのです。
以上のことから、北の富士勝昭さんに隠し子が何人いようと何も驚かないなあという印象です。
北の富士勝昭の兄弟
北の富士勝昭さんの兄弟についてご紹介します。
北の富士勝昭さんは7人兄弟の次男ですが残りの兄弟は・・・
現在、たった一人妹さんがご健在で、夫婦で山形県酒田市でちゃんこ屋「北の富士」を営んでいます。
北の富士勝昭さんも兄弟が自分の名でお店をしてくれる、これほど嬉しい事はないですよね。
その妹さんの子供なのか、映画監督の和島香太郎さんは北の富士さんの甥っ子です。
和島さんは「禁忌」「梅切らぬバ〇」などの作品を手がけ「梅切らぬバ〇」で主演した加賀まりこさんは和島さんのことを「北の富士さんに似た雰囲気はあるものの、全く無口で静か」だそうです。
また北海道旭川市では別の甥っこの竹澤一樹さんが「北の富士櫻屋」を営んでいらっしゃいます。
北の富士勝昭さんの血縁関係の方々が、このように活躍していらっしゃることは非常に原動力となっていることでしょう。
北の富士勝昭さんの父親は政信さんで101歳、母親はみよしさんで78歳で亡くなられています。
これからも元気なお姿で相撲業界をいつまでも盛り上げていってほしいです。