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俳優歴35年、映画だけで出演本数150本以上。
日本のドラマ・映画作品で欠かせない安定感抜群の光石研さん。
最近では、古着好きで東京古着日和のYouTubeが大ヒットするなど、なんだかずっと日本の俳優として安定し続けてきたんだろうなと思う光石研さんですが・・・
実は全く売れず、非常に苦労した時期が長くあります。
そんな時に、心の支えになったのが33年間連れ添っている光石研さんの嫁さんです。
一般人の嫁さんと結婚した光石研さんですが、子供を授からなくとも33年嫁一筋。
そんな最高の夫婦仲を築き、一生連れ添う覚悟が決まった光石研さんと嫁さんの秘密をご紹介します。
目次
光石研の嫁は一般人!
光石研さんの嫁さんは一般人で同い年です。
光石研さんが29歳の時、つまり29歳で嫁さんも結婚しています。
嫁さんは一般人なので、詳しい情報はありませんが結婚当初は、OLをしています。また、現在は専業主婦です。
当時はOLをしなければ、夫婦でご飯を食っていける状態じゃありませんでした。
光石研さんが苦労した時期を乗り越え、売れ始めたタイミングで仕事をやめ、パートを経て専業主婦になっています。
では、そんな33年嫁一筋に決意させた光石研さんのお嫁さんとは一体どれほどの美人さんなんでしょうか?
光石研の嫁はどんな人?顔は誰似?
光石研さんの嫁さんは、一体誰に似ていてどんな美人なのでしょうか・・・
結論、一般人なので顔画像はありませんでした!
さらに、光石研さんが嫁さんに対する感謝や尊敬の念をメディアで語ったことはあっても、容姿に触れるような発言は一切していません。
そのことから、どんな美人なのかというのは分かりません。
きっと綺麗な方なのでしょうけど、光石研さんが重要視しているのは他の部分です。
『顔じゃありません、惚れたのはその心です』
光石研さんがグッときた嫁さんはどんな性格の持ち主なのでしょうか?
苦労時代の嫁さんの行動を見ると、性格がよく分かります。
出典元:婦人公論.JP
光石研さんが結婚した29歳の時から、30代半ばまで俳優のお仕事が激減していました。
「そんな辛い時期に仕事を辞めずに続けてこれたのは妻が支えてくれたおかげです」と光石研さんがご自身で何度も何度も言い切っています。
なんの文句も言わずに会社員をして、金銭的な面からメンタル面まで支えくれた嫁さん。
きっと、自分の夫が仕事がなくなり、一番近くで俳優業の不安定さを痛感したことでしょう。
そんな時でさえ、不満を漏らさず、一番辛いのは夫である光石研さんだから、支えようと労いの言葉をかけ続けるだけでなく、行動でも会社員として働き、支えました。
とんでもなく素敵な嫁さんですよね。
夫の仕事がなくなるということは、嫁である自分自身の暮らしが貧しくなることに直結することが分かっていながら、愚痴を漏らさないことだけでも凄いのに・・・
実際に会社員として働いてなお且つ支えるという、言動が一致した立派な方です。
懐が広いお方にしか、この行動はできませんし、夫である光石研さんを信じているからこそできたことだと言えます。
光石研さんは「嫁には頭が上がらない」と言っていますが、光石研さんも嫁さんを信じさせる誠実さがきっとあったから二人で成せたんだと思います。
また他にも
仕事に関する相談を妻にはしないと言っていますが、これは言い換えると『夫の仕事に干渉しない』という行動なので、光石研さんの嫁さんは非常に素晴らしいです。
光石研さんが出ているドラマは、基本見てくれており、怖い系のシーンは苦手なので、ほんわかした楽しいキャラクターの作品をよく見ているそうです。
光石研さんを常に応援していて、とても穏やかな性格の持ち主だということが分かりますね。
そりゃ惚れるわ(笑)って要素しかありませんね。
では続いて、光石研さんと嫁さんがどのような馴れ初めだったのかをご紹介します。
これがまた、グッとくる出会い方をしてるんですよ〜。
光石研と嫁の馴れ初め
光石研さん嫁さんの馴れ初めは、実は意外と普通な・・・友人の紹介でした。
光石研さんは福岡出身ですが、高校卒業と同時に俳優を目指し、上京。
嫁さんと出会った頃には、すでに東京で俳優の仕事をしていたため、嫁さんを紹介したのは、東京で仕事をして知り合ったスタッフさんか俳優仲間だと考えられます。
また他にも諸説があり、大学時代からの友人の紹介という噂もありますが、あり得るのはバイプレイヤーズの遠藤憲一さん、大杉漣さん、田口トモロヲさん、寺島進さん、松重豊さんのいずれかでしょう。
友人からの紹介というのは、上記の2択と考えていいでしょう。
出会った頃の光石研さんは、まだ俳優として安定した仕事はなく収入も非常に不安定でした。
たまにきた仕事といえば、2時間ドラマの単発オファーを受ける程度。
その後も視聴率の高い有名作品に出演できる機会はあるものの、それは全て事務所の先輩『緒方拳さんとのバーター出演のみ』で、光石研さんの実力で勝ち取った仕事はぼぼありませんでした。
※バーター出演とは…売れっ子俳優Aさんが出演する番組に今売り出し中の同じ事務所の俳優Bさんも出演すること。コネ出演みたいなものです。
左側が20代の頃の光石研さん。貴重な写真です。
そんなまだまだ事務所が売り出していて、売れていない頃。
光石研さんと嫁さんが結婚しました。二人とも29歳でした。
光石研さんと嫁さんの馴れ初めはこれで終了ですが・・・
地獄の結婚生活の幕開けはここからでした。
実は結婚した後の二人だけのドラマがこの馴れ初めを素晴らしいものに昇華してくれます。
そんな素晴らしいストーリーを今からご紹介していきます。
結婚の決め手
光石研さんの結婚の決め手は、嫁さんの人間力に尽きるでしょう。
売れていない時期でも、結婚を決めたくらいです。
好きで一生大切にしたい相手じゃないとお互い結婚はしません。
では、光石研さんの嫁さんがどれほど素晴らしい人間なのか?証明するには、地獄の新婚生活を知る必要があります。
詳しく見ていきましょう。
【壮絶】光石研と嫁が結婚した当初の極貧生活
結婚する前から、お金がなかった光石研さん。
29歳で結婚した当時の新婚生活は、壮絶な極貧生活でした。
「ちょうど男の子の過度期というか青年の役から大人の役になる中途半端な時期で、お父さん役は微妙にでいないし、かと言って学生役も無理がある」俳優皆さんが通る道ですが・・・
仕事が激減してしまいまいました。
その際にいつも光石研さんが語るのは、「奥さんに働いてもらったり、事務所に借金したりして、なんとかしのいだ」と言っていますが、普通になんとかなっていないと思います。
光石研さんの収入がほとんどないので、嫁さんが会社員で働いて給料が入ってきても、全てお金が消えていく日々。
所属事務所に、借金をするということは新婚生活を暮らしていく貯金が底をついていたということです。
これは、相当きつかったでしょう。
せっかく結婚して、夫になったのにこんな状態で、どんなに悔しかったでしょう。
収入がなくて、明日のご飯すら食べていけないそこまで追い込まれて、事務所に借金しに行った光石研さんは、当時どんな気持ちだったでしょう。
自分が情けなくて、情けなくて仕方なかったと思います。
では、なぜ俳優を辞めなかったのか?
そこに嫁さんの素晴らしさがあります。
結婚をしてから、5年以上。
この極貧生活が続いても、俳優を辞めずに自分を保ち挑戦し続ける気合いがあったのは、全部嫁さんのおかげです。
一体、どんな支えをしたのかまでは、詳細には語っていませんが、借金している家庭で、必死に会社員をしながら文句一つも言ったことがないと光石研さんが証言しています。
ずっと近くで応援し続けて、信じ続けていたんだと思います。
並大抵のことじゃありません。
諦めずに、やり続けた光石研さんももちろん凄いですが、見守り続けた嫁さんの方がもっと凄いんじゃないかと思います。
いやいや、そんなことないでしょうと思うかもしれませんが、光石研さん本人にこの話をすると、きっと賛同してくれるでしょう。
それくらい、この地獄の新婚生活を5年以上耐え続けたって異常です。
光石研と嫁の間に子供はいない!
光石研さんと嫁さんの間に子供はいません。
光石研さんに子供がいるか調べると、『子供はいない』という情報が大半を占めていたので、実際のはどうなのかを調べると、明確な理由がありました。
それが『光石研さんが子供についてメディアで一切語ったことがないから』です。
テレビ番組やインタビューでは、自身の過去を振り返るのに親のことや子供時代、そして嫁さんのことなど近しい人間関係のことは話しますが、一度も子供の話は出ていません。
唯一子供に近い話だと、愛犬のトイプードル『グリグリくん』ぐらいでした。
このことから、子供がいないことを意味しています。
子供がいないことが確定だと断言はできませんが、いないと考えるのが建設的でしょう。
しかし結婚してから5年、二人は修羅の道を共に歩んできたわけなので、子供がいようがいまいが関係ないです。最強のパートナーです。
光石研と嫁が夫婦円満でいる秘訣
夫婦円満の秘訣は、お互いが与え与えられていることに気づき、感謝できているからです。
インタビューで、今でも妻には頭が上がらないと光石研さんは語っています。
結婚してからの5年間、俳優としての収入がほぼなく、収入の柱は嫁さん。
お金がなさすぎて、事務所に借金をしたことがあるくらいなのに、決して俳優を辞めませんでした。
遅咲きですが、30代半ば頃から俳優として活躍しました。
やり続ければ、いつか成功する。
これができたのは、光石研さんだけの力だけでなく、嫁さんの支えがあってこそです。
そんな苦労話を、成功した今、話すとカッコ悪いからと言って話さない人も沢山います。
そんな中、光石研さんは当時のありのままを話しています。
この言葉が言える方がかっこいいですし、この言葉があるから辛い時期を支え続け、励まし続けるだけでなく、嫁さん自身を正社員として働いたあの時期が報われるんです。
嫁さんの頑張りがこの言葉で救われるんです。
夫婦とは、互いに支え合い、与え与えられの関係です。
それに気づき、言葉で伝え合い、行動で示し続けられると夫婦円満になるというのが、光石研さんと嫁さんを見ていると学ばされます。
光石研が33年間、嫁に一筋である理由
光石研さんが33年間、嫁に一筋である理由は、たった1つです。
新婚生活という2度と戻ってこない、キラキラした生活を捨ててでも光石研さんの俳優という夢を追わせてくれたからでしょう。
嫁さんの協力なしでは、光石研さん活躍は間違いなく見られなかったでしょう。
もし、夢を応援せず、諦める選択を取っていたら日本の俳優シーンは、多大な損失をしていたでしょう。
それくらい光石研さんは素晴らしい俳優であり、その素晴らしい俳優に導いたのが間違いなく嫁さんの存在です。
光石研さんが嫁に33年間と言わず、一生一筋になるなるのは必然でしょう。
【超貴重】嫁を射止めた光石研さんの若き頃
嫁を射止めた光石研さんの若い頃を紹介します。
かなり貴重です。
↑画像左端です。
なんかカッコイイというより、かわいいですね。
この甘い顔に嫁さんは射止められたと考えると素敵ですねえ。
光石研と嫁が住む自宅がお洒落過ぎて凄い!
光石研さんと嫁が住む自宅が群を抜いてオシャレです。
もはや、家の域を超えてます。
そこらのオシャレな服屋さんのセレクトショップを超えるぐらいのレベル感です。
世田谷区の閑静な住宅街に佇むマンション。
天井を抜いて開放感を演出した室内など、リフォームのアイデアは、すべて光石研さん本人が考えたものです。
なぜ、これほどにまでオシャレなのか?
それは光石研さんが主演の東京古着日和という番組があり光石研さん自身、大の服好きだからです。
誰よりも服が好きで、自分の感性を磨き続けてきたからこそ、服と密接に関わるカルチャーやその延長線上にある家具などの空間・デザインへの好奇心へと辿り着きます。
アパレル店員が服が好きすぎる結果、自宅の家具へこだわりすぎて、沼った結果、給料の全てを家具に費やすというのは、よくある例なのですが、そのレベルを実現しているのが光石研さんなんです。
俳優として、成功しなければこのような空間を手に入れることはできなかったでしょうし、何より地獄の新婚生活を送ってきて、今こうして笑えているのが何よりもかっこいいです。
いつまでも夫婦二人幸せに、そしてこれからも光石研さんの俳優としての活躍が楽しみです。